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Column Vol.4
Noriko Uchiyama

 今回は香港でラクロスの普及に携わっている内山典子さんに、香港ラクロスの現状について報告していただきました。

香港ラクロス事情
内山典子
淑徳大学卒業
北京体育大学留学を経て現在香港在住

 日本ではラクロス協会普及部、その後北京体育大学へ留学、そこでのラクロス普及、そして今私は同じ中国である香港で相変わらずラクロスの初歩部分の活動に参加している。北京を中心とした中国本土の普及は経済的、文化的価値観の違いの中、すでに6年あまりが経過し、今年やっと北京体育大学を本部としたラクロス協会的な組織ができ、一応の発展を見せている。

 そして、香港。ご存知のようにここは5年前から中国の一部に戻った。しかし、中国本土とは、経済的、文化的に全くの違いを見せる香港で、数人のLacrosse Lover によって、ラクロスは本土とは違った急速な発展を見せている。
 実は香港でのラクロスの歴史は日本よりもずっと長い。1963年イギリス人大学教授により、香港大学にラクロスが伝わった。その後長い間香港大学内のInterholl(宿舎対抗)の種目の一つして、男子が女子のように防具をつけず行う別の形式で受け継がれてきた。その後1993年当時の香港大学学生数人によりラクロス協会が設立され、大学内の形式は引き継がれながらも、別にフル装備の男子ラクロスが開始されたのだった。


 今年7月パースで開かれたWorld Championship(以下WC)。日本が歴史的1ページを刻んだその大会の場に私もいた。もちろん日本チームの応援が第一の目的(?)ではあったが、もう一つの目的は、香港チームのWC初出場をこの目で見るためだった。
 今大会初めてRed, Blue division に加えて、Green division ができ、そこに香港は参加したのだ。Green divisionとはInternational Lacrosse Federation(ILF)に正式加盟をしていない、けれどもラクロスが根付きつつある国のために用意されたもので、香港の他、韓国、アイルランド、ニュージーランドの4カ国が今回参加。が、この4カ国中香港以外の3カ国はアメリカやオーストラリアでのプレー経験がある、または現役選手を集めたチームで、およそ普及段階のチームとは思えなかった。そんな中、香港は厳しい試合を強いられた。

vs.アイルランド
WCが近づくにつれ、毎回彼らの練習を見守っていた私は、何もかもが初めての彼らに、心配ばかりが増え、かと言って私自身もWCになんて参加したこともなく、HELPをしたくてもどうして良いかわからない日々が続いた。
 初めて・・・・。香港として公式試合に出るのも初めて。改めて戦術から練習の内容から考える、選手の中に、香港人の中にその経験があるものは皆無。国際ルール上でプレーしたことは無く、審判もできる者はいない・・・。ユニフォームは?ヘルメットの色は?マネージャー、トレーナーは必要? 全てがクエスチョンなのだから・・・。 
 話が飛ぶが、一番私が驚いたのは、国家が歌えるものがほとんどいない・・ということだった。もちろんイギリス領であった時代が長かったため・・、中国本土とは使用言語も違う。同じ国であって、違う国。練習後中国語で国家を口ずさみ練習する彼らの横で、私はどうしても理解できない文化の違いを感じていた。香港は中国へ返還後もオリンピックなど国際的な大会では中国とは別の地域として出場が認められている。China Hongkong、これがNational Team名である。国旗掲揚では香港特別行政区(これが香港の正式名称)旗が掲げられるが、国歌は中華人民共和国のものだ。

 話を戻そう。何もかもが初めての香港チームであるが、例えば日本が始めて WC に出場した当時と比べると、状況は実は恵まれている。ここ香港にはたくさんの欧米人がおり、ラクロスプレイヤーも少なくない。体の大きな欧米人との日々の練習は日本のチームには無いことだ。彼らから学ぶことはたくさんある。
 また、練習環境。この狭い香港に何故これほど多くのグランドが、しかも人工芝のグランドがあるのかは私にもわからないが、日曜日の練習はもちろん、平日会社が終ってからは人工芝+照明付きのグランドを使用している。
 何もかもが初めての中で迎えたWCの.結果は4カ国がそれぞれ同じチームと2回づつ試合をするという変則的なものであったのだが、ニュージーランドに一度勝利を収めることができた。申し訳ないのだが、私は試合結果や戦術などを述べるよりも、どうしても出場までの過程や今後の発展は?という眼で彼らを見ている。自分自身がラクロスに関わって既に11年程。その大半を普及という活動を中心にしてきたので、これはもうしょうがないこと、と自分で思っている。いわゆる職業病かもしれない。

 
パースで赤い香港の旗とユニフォームを着、ピッチに立つ彼らを見たとき、バタバタとした準備の中やっとここまで来たかと感慨深いものがあった。しかし、と同時にWCが終了したら、次の香港ラクロスはどこへ向かっていくだろうっと、疑問が浮かんだ。そして、今。WCが終了し、3ヶ月が経過。私が疑問に思ったことが現実となりつつある。香港チームの選手のほとんどがWCで燃え尽きてしまったとでもいおうか、満足感を感じてしまい、STOPしてしまったのだ。ただ未来は、発展は無くなったわけでない。来年年明け早々には、香港で第1回目の国内リーグ戦が開催される予定だ。現在は欧米人プレイヤーも含め、離れてしまった選手の呼び戻し、リーグ戦の準備が香港ラクロス協会によって行われている。

 私がラクロスに出会った日本でさえ、すでに10数年の歴史の中、今年のWCでやっと一つの壁を超え、またこれからというところだ。香港なんて、まだまだ始まったばかり。私は今、香港の彼らに自分が経験したラクロスが、今でもこうして関わっていたいと思わせるラクロスがどういうものなのか、伝えたい、どうやって伝えたらよいのか考えている。WCだけがラクロスじゃない、選手だけがLacrosse Loverじゃない。

 来年春。2回目となるHongkong Lacrosse Open Tournamentが開催される予定である。第1回目日本はラクロス協会がチームを編成し、参加してくれた。勝手なお願いになるが、もし興味をもってくれる日本のラクロッサーがいたら、是非香港に来て、香港の彼らにラクロスってこんなにすごい!ってことを伝えてくれないか・・・と期待している。私はそれまでここで微力ながらも、少しづつ香港の彼らにそれを伝えていければと思う。ここに私が後どれくらいいるのかは、今はまだ見えていない・・・

Hong kong Lacrosse Open 2002

*香港ラクロス協会公式ウェブサイト



 From Editors
 内山さんは中国・北京体育大学留学時にもラクロスの普及に携わられていました。北京体育大学には男女ともチームがあり、日本からのラクロス経験者の留学、周辺大学の留学生、そして日本ラクロス協会からのサポートもあり基盤が固まりつつあります。最近では、北京体育大学でラクロスを経験した卒業生が体育教師として他大学でラクロスの指導を始めたという話も聞いています。
 ラクロスの普及度や世界大会への参加からみると、アジアにおいては中国、香港そして韓国は黎明期と言えます。日本においては1986年に本格的にラクロスが普及し始めたわけですが、当時ラクロスを普及させようとした方々の多大な努力と内外の協力があったからこそ、現在我々はラクロスを楽しめています。中国のことわざで「水を飲むときはその井戸を掘った人のことを忘れてはならない」というものがあります。このような魅力的なスポーツを日本に持ち込んだ方々、またその普及に携わった方々には敬意を表さなければならない。